僕は精神が好きだ〜アナーキスト・大杉栄さんのメッセージをアレンジしてみました。。。
おはようございます。僕は小学校くらいから歴史が好きで、感覚に任せていろんな本を読み漁ってきましたが、
「一番好きな歴史上の人物は?」と尋ねられたら、真っ先に大杉さんの名前を挙げます。
ちょっとマニアックですかね? 笑。
でも、アナーキズム(無政府主義)は、彼が生きていた明治〜大正の頃はともかく、「必ずしも」危険思想と呼ばれるたぐいのものじゃない。僕もこうやって、とても健全に生きてますしね。笑。
で、彼には名エッセイストとしての才能もあり、エッジの効いた小文をたくさん残しているのですが、一番有名なのが下記の「僕は精神が好きだ」でしょう。
短いのでそのまま掲載してみます。
いたって「当たり前のこと」を言っていると思うんですが、皆さんどう感じるでしょうか?
僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されるとたいがいはいやになる。
理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。
この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。
少なくともかわいい。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。
社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々いやになる。
僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。
思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ。
(1918年2月)
「社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々いやになる」。。。このあたりいいですね。
無政府「主義」、民主「主義」、資本「主義」。。。ヒトは主義を持った途端に、その脳の作り出した観念にからめとられ、精神の自由を失います。
だから、つかんだら離す、そしてまた何か新しいものをつかみ、またそれも離す。。。
これを柔軟性、バランス感覚と言います。
このへんをふまえて、僕のいまの仕事に関係しているあたりを、ちょっと大杉さんの小文でアレンジしてみました。笑。
ジョークだと思ってお読みください。
僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されるとたいがいはいやになる。
理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。
この意味から僕はナチュラリストの皆さんのぼんやりした自然主義や生命主義が好きだ。
少なくともかわいい。しかし科学の名を借りたエビデンス第一主義は大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。
菜食主義も大嫌いだ。ローフードやオーガニック、自然食もどうかすると少々いやになる。
僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。
思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ。
自由であることは、案外と難しいことです。でも、それをしっかり実感している人は、案外と自由です。
とらわれないと言いながら、じつはただの不勉強。笑。
で、勉強するとすぐに「これは正しい」の世界に入り、精神の自由を失った「主義者」になる。
感じることをそのまま感じて、言葉にする、行動にすることは難しい。
でも、その難しさを知っている人は、何者にもならず、ただそのまま、思いを言葉や行動に変えていける。
これからも固まらず、つねにやわらかい、文字通りの自由人でありたいと思っています。
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