3月24日の今日のひとこと〜スポーツと食事の新しいカンケイ(2)

前回の続きですが、もう10年以上前にこんな詩を書いたことがあります。




才能


才能は決して勝ち負けではない 才能は存在感である

存在感をしめす便宜としてゲームがある

ゲームを成り立たせる便宜として勝ち負けがある




しかしいつしか才能は勝ち負けのために使役されはじめ

少年のころに味わったあの快感は

さかりをすぎた老人のようにおとろえて

それでもつづくゲームのなかで人々にくるしみを提供している



才能にとってほんらいゲームは景色である

じぶんのよろこびを確認するために用意された

もっとも手頃な景色である



勝ち負けにおいて結果を出さねばその景色からしめだされる

そのきびしさのなかでいつしかゲームを景色と感じたとき

たぶん才能はその本人の持ち物となる



勝ち負けが蒸気のように感じはじめたら きっともっと勝つだろうよ

でもそのときもっとちがう景色が見えてるだろうよ



なにしろ彼の存在感はもはや勝ち負けなど超えている

もっとちがう輝くような世界に踏み込んでることだろうよ



リンク元 → http://thunder-r.air-nifty.com/tigar/2005/06/post_1fb1.html



。。。僕が「体を動かしている人」に憧れを持つのは、きっとこんなイメージに凝縮されてるんだろうなと思います。


この詩を書きあげた時、最初に思い浮かんだのは当時まだ現役で活躍していた、サッカーの中田英寿選手でした。



つづく。。。




セミナー情報 http://seimei-kagaku.info/archives/1949


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