朝のコーヒーブレイク。。。コーヒーを見ている「自分」って誰? 

おはようございます。


朝の散歩の後、コーヒーを飲みながら。。。こんな会話を。。。。


コーヒーカップがカラダとしたら、コーヒーはココロ。


ココロを満たそうとみんな必死になるけれど、多くても少なくても、それを飲んでいる自分はあんまり関係ない。


それを飲んでいる。。。いや、見ている自分。。。「中心」はそこにある。





中心の自分が消えてしまったら、コーヒーもコーヒーカップもない。



物理的には存在しているかもしれないけれど、見ている自分の次元からは一切消える。



ココロを満たそうとすること。。。そこに中心はないよね。



それよりも。。。自分がいるということ、この世界に自分が存在していること。



その自分が消えてしまったら、世界も消えてしまう? 自分が消えてしまった後の世界って、じつは論理的にはありえない。



じつは空想の産物なんだって、よく考えてみればわかる。



では、自分て、何? ココロではない、カラダでもない、それを見ている自分って何?



ココロの世界から抜け出すと、そこには変わらない世界があるんだよね。




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