朝のコーヒーブレイク。。。コーヒーを見ている「自分」って誰?
おはようございます。
朝の散歩の後、コーヒーを飲みながら。。。こんな会話を。。。。
コーヒーカップがカラダとしたら、コーヒーはココロ。
ココロを満たそうとみんな必死になるけれど、多くても少なくても、それを飲んでいる自分はあんまり関係ない。
それを飲んでいる。。。いや、見ている自分。。。「中心」はそこにある。
中心の自分が消えてしまったら、コーヒーもコーヒーカップもない。
物理的には存在しているかもしれないけれど、見ている自分の次元からは一切消える。
ココロを満たそうとすること。。。そこに中心はないよね。
それよりも。。。自分がいるということ、この世界に自分が存在していること。
その自分が消えてしまったら、世界も消えてしまう? 自分が消えてしまった後の世界って、じつは論理的にはありえない。
じつは空想の産物なんだって、よく考えてみればわかる。
では、自分て、何? ココロではない、カラダでもない、それを見ている自分って何?
ココロの世界から抜け出すと、そこには変わらない世界があるんだよね。
★10月の「骨ストレッチ・ダイエットセミナー」、開催のお知らせ
★「ミトコンドリアのお話」(「骨ストレッチ・ダイエット」ホームページより)