[コラム]人生は映画館、観客が私自身。。。

昨日、「骨ストレッチ」の松村先生と電話でお話していて、「人生は映画館である」という話が出ました。その内容は僕が昔、原稿に書いていたことでもあったので、あまりのシンクロにビックリ。過去のファイルから該当箇所だけ、備忘録的にアップしておきます。

自画自賛じゃないですけど、手直しなしでそのまま出せる内容だったので、ちょっとうれしかったです。笑。よろしければご一読ください。


(引用開始)

● 「腹式呼吸」で意識をハラに降ろす

今度のレッスンは少し難しいと感じるかもしれませんが、「直観=しっぽの感覚」を磨いていく上で必ずヒントになるものです。

できれば何度も読み返して、感覚をつかめるようにしてください。

まず、座った状態で「ハラ」の位置に意識を置くようにします。正座でもあぐらでも、椅子に座った状態でも、何でも構いません。なるべく上半身を空っぽにして、「ハラ」の一帯に重みを感じられるようにします。

うまく感じられない時は腹式呼吸をし、できるかぎり気持ちを落ち着けてください。

ここでいう腹式呼吸とは、「ハラの中から息をすべて吐き出し、それから吸い込んでいく」という、最も自然な呼吸法です。

やってみるとわかりますが、はじめに吐き出すからその反動で吸うことができる。そうした「吐く→吸う」の繰り返しの中で、徐々にハラの一帯に意識を降ろしていくのです。

余談ですが、普通は吸ってから吐くのが呼吸だと、みんな思ってませんでしたか? 深呼吸なんかもそうやってますよね?

でも、吐き出しさえすれば、無理をしなくとも自然に吸い込むことができます。はた目には大して違いませんが、このほうがずっと楽だとわかるはずです。

これは物事に関しても同じです。

何かを得ようとするには、まず捨てなければならない、何かにしがみついているうちは新しいものは得られない、ということ。それともあなたは、すでに何か物が入っている容器に、新しいものを継ぎ足そうとするタイプですか?

そのやり方では空っぽにはなれないことになりますが……。




● 自分の身体を「映画館」に見立ててみる

さて、話を戻しましょう。

……どうですか? 実際に試してみて、気持ちは落ち着いてきたでしょうか?

あまり神経質になる必要はありませんが、リラックスできてきたら、その状態で「映画を見ている自分」を想像してください。

そう。客席に座って、スクリーンを見つめている自分の姿をです。目をつむって、真っ暗ななかにスクリーンがあるように思い浮かべてもいいかもしれません。

スクリーンがうまく思い浮かばなくても構いません。たぶんじっとしているっだけでいろんな思いが浮かんでくるはずです。

まあ、そのほとんどは雑念であるわけですが、特に取り払ったりせずに、あれこれ分析したりもせず、突き放した感覚で見つめていきます。

これまでのレッスンの時のように、いろいろイライラしているとき、気持ちがもやもやしているとき、これを試してみるのもいいと思います。イライラを映画館でスクリーンを見るようにして、離れた感覚で見るようにするわけです。

……難しいですか? 多分、難しいだろうと思います。

映画館の話で譬えると、多くの人は自分が映画を見ていることを忘れてしまっている状態なのですから。

実際に映画を見ていても、ありますよね? 思わず内容に引き込まれて、自分が客席に座っていることすら忘れてしまうような瞬間が。

ふっと我に帰って、「ああ、自分は映画を見ていたんだ」と気づくわけですが、人生はそんな映画など比較にならないほどリアルなものです。

だから、自分がそれを見ていることになかなか気づけない。いつの間にか、スクリーンの映像が自分そのものになってしまうわけです。

こうしたカラクリをとりあえず頭のなかでいいから仕舞っておくと、「思いを見る」ということの意味も少しずつわかってくるはずです。

じつはこれが「客観視する」ということの本質なのです。



●スクリーンと客席の関係をモデルにする

思いから離れ、それを客観的に見れるようになるには、やはりハラの感覚が必要です。

ひとつのイメージとしてとらえてほしいですが、要するに、スクリーンを見ている客席の自分がハラの自分です。

スクリーンのなかに浮かんでくる思いは、自分そのものではないということ。でも、その思いにとらわれてしまうと、映画に夢中になった状態のように一体化してしまいます。

自分を冷静に見つめられなくなるのです。

自分を冷静に見つめるというと、頭を使うことだと思う人が多いかもしれませんが、それはあくまで状況を知的に把握するという行為です。

もちろんそれも必要ですが、客観的かどうかはわかりませんよね?

自分の思いを一歩離れてとらえるには、そうした思いがごちゃごちゃ詰まった頭(脳)そのものから離れ、客観視する必要があります。

脳が脳を見つめている状態では、それは客観視ではないわけです。

いずれにせよ、多くの人は頭に意識が偏ってしまっている状態なので、ちょっとこれがわかりにくいんだと思います。

ハラでなんか感じられないと反論されそうですが、どこかで書いたように、何かを認識するということと、感じることは別なのです。認識することを自分のすべてだと思い込まないことが、身体感覚と出会える秘訣であるわけです。

……以上をふまえたうえで、映画館のスクリーンと客席の光景を思い浮かべながら、何度も何度も折に触れ、「思いを見る=客観視する」練習を繰り返してください。



●パニックに陥った時こそがチャンス

ひとつのアドバイスとしては、様々な思いにとらわれ、自分の本心が見えなくなってしまった状態の時、意識してこうした練習にトライしてみることです。

悩んだり、パニックに陥った時こそ、逆にチャンスであるわけです。

自分を責めたり、嫌悪する感情が湧いてきた時も同様。こうした状態はいくら理詰めで解決しようとしても、ますます深みにはまってしまいます。

一種の哲学ではないですが、自分の人生は、文字どおり一編の映画であると思うことです。

客席から見るという感覚がわかってくれば、安心して自分の映画が見られます。

それがたとえ不愉快な、あまり見たくない内容のものであっても、自分を見失わず対応していけます。大袈裟な言い方をさせてもらえば、その時はじめて自分の運命と呼ばれるものを、受け入れられるようになるわけです。

一編の映画だなんて、これは皮肉で言っているわけではありません。

どんな状況に置かれても自分らしく振る舞える、いちばんシンプルな秘訣について話をしているだけです。自分らしく振る舞えると言うことは、自分の本心が見えている状態に他ならないわけですから、要はそれが客観視できている状態なのです。

わからないうちは、「映画館の客席に座っている自分」「スクリーンを見つめている自分」を、何度も何度も想起するようにしてください。

何かの拍子でふっと外に出ることができる瞬間が、誰にでも必ずあります。その瞬間というのが、他でもない、しっぽの回路とつながった瞬間なのです。

(引用おわり)